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長野市のあゆみとその商業




長野市のあゆみとその商業について
近年においては、消費者のニーズの多様化、ライフスタイルの変化、モータリゼーションの進展、大店法(だいてんほう)(「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」)の規制緩和(きせいかんわ)(平成12年廃止)などにより、郊外への大型店の出店やコンビニエンスストアなどのさまざまな小売店が進出する中で、多くの商店街では空き店舗が増えるなど中小小売商業を取り巻く環境は厳しさを増してきました。こうした環境変化に対応し、地域に密着した産業である商業の振興を図るため、顧客のニーズに対応した商品やサービスの提供を進めるとともに、地域コミュニティの場として魅力ある商店街づくりを進めていくことが必要となっています。一方、卸売(おろしうり)業も高速交通網の整備、情報化、商慣習(しょうかんしゅう)の変化などを背景として、流通 経路を短くしたり、統合するなど、流通システムが急速に変化しています。
このため、商業に携わる一員として、過去を振り返りながら、輝かしい次代につなげるべく、長野市とその商業について記しました。
長野の良さと、それを支える商業のあゆみを、多くの皆様にご理解頂けますと、幸いです。
 
@ 善光寺門前町としてのはじまり

A 長野市誕生から

B 長野歳時記(北信版)

C 信州の観光について
 
@ 善光寺門前町としてのはじまり

長野市の歴史は善光寺の門前集落に始まり、北国街道の宿場として成長し,明治以降は長野県の県都として発展した。戦後後は、中央集中型経済の地方分散、高速交通網の整備、高度情報化社会の到来の伴い地方中核都市として躍進し、1998年冬季オリンピックの開催都市として世界にその名を広める事ができました。
長野市元善町にあります善光寺は、一光三尊阿弥陀如来さまをご本尊としてお祀りする祈りの聖地として、創建以来千四百年の長きにわたりその法灯を護持してきた古刹です。「善光寺縁起」によれば、ご本尊の一光三尊阿弥陀如来は、欽明天皇十三年(五五二)仏教伝来の折に百済から日本へとお渡りになった日本最古の仏像です。この如来は、信濃の国の本田善光によって当地へと下向され、皇極元年(六四二)善光自らの宅に安置されました。これが善光寺の起こりと言われています。その後まもなく如来は秘仏になられたと伝えられます。弘治元年(一五五五)、川中島の合戦で有名な武田信玄は、如来を甲府へとご遷座し、さらに織田信長、徳川家康、豊臣秀吉らは岐阜、浜松、京都へとご遷座しました。如来は四十二年を経て信濃に戻られましたが、この本尊の流転も、信濃を離れた様々な土地に如来の仏徳を広める縁となりました。
江戸幕府が開かれると、徳川家康は寺領千石の寄進を行い、境内は次第に復興していきました。太平の世が続き、一生に一度は善光寺詣りを、と人々の参詣も増加、ことに一貫して男女平等な救いを説く寺院として、女性参詣者の多いことが善光寺詣りの大きな特徴でした。
宗派にかかわりなく、極楽往生に導く霊場として信仰を集めています善光寺は、門前町長野の誇りです。
善光寺門前町は、信濃に最初にできた町だといわれています。それが鎌倉時代に発達し、「後丁」が設置され信濃の政治の中心となりました。
江戸時代、遠来客の善光寺往生は、松本経由で北上する善光寺街道と、追分で中山道と分かれる北国街道が二大幹線でありました。この北陸道と連結する北国街道が、加賀百万石はじめ北陸諸大名の参勤交代路線となり、善光寺通過が町発展の基礎となりました。そこに市場という要素が加わって人口も増え、繁栄していきました。

A
長野市誕生から

江戸時代の長野は、俗称善光寺町でしたが,正式には長野村であり、現在の大字長野にあたる狭い地域でした。明治7年に長野町になり、同30年に市制がしかれ、長野市が誕生。人口およそ3万人。

明治30.4.1 長野市誕生(上水内郡長野町の区域)
大正12.7.1 上水内郡吉田町、芹田村、古牧村、三輪村を編入
昭和29.4.1 上水内郡古里村、柳原村、浅川村、大豆島村、朝陽村、若槻村、長沼村、安茂里村、小田切村、芋井村を編入
昭和41.10.16 長野市、篠ノ井市、埴科郡松代町、上高井郡若穂町、更級郡川中島町、更北村、上水内郡七二会村、更級郡信更村が合併
平成11.4.1 長野市が中核市にランクアップ。
平成15.12.22 長野市、大岡村、豊野町、戸隠村、鬼無里村による地域合併協議会の設置
平成17.1.1 上水内郡豊野町、戸隠村、鬼無里村、更級郡大岡村を編入

維新の経済改革により、封建経済から資本主義経済へ移行し、富国強兵・殖産興業のスローガンのもとで、その動きは急速に進み地方にも及んだ。
長野県でも明治10年、松本の国立第117銀行の発足に始まり、私立銀行も設立がはじまる。長野市では同13年以降、長野銀行、信濃銀行など開業し、国立銀行であった十九・六十三銀行が私立銀行に改組され、昭和6年両行の合併で現在の八十二銀行が誕生した。
交通の関係では、明治21年信越線長野駅開業、同26年東京〜直江津間が全通。
通信でも、同5年郵便業務開始。電信は、同11年上田、長野に電信分局が設置されその後各地に普及。電話は、同39年長野市に市内電話が開通。
門前町、宿場町、市場町の機能を持っていた長野市は、明治に入り人口が増え、商業都市として拡大発展した。長野の商業は卸・仲買商が少なく、小売商が多いのが特色だった。中でも繊維関係が主だったようです。

第一次大戦の影響、大正12年の合併があいまって、長野市の経済活動も進展した。
商店、卸売市場が増えていくなかで商品の分化が進み、西洋料理店・ゴム靴商・写真機商・セメント商・西洋洗濯機などが誕生し、また証券会社も登場した。金融関係でも長野市庶民信用組合(長野信用金庫の前身)が設立。

昭和恐慌到来。
明治以来上昇を続けてきた日本経済は、昭和2年、大正バブル景気の反動である金融恐慌に見舞われた。長野の場合、蚕糸業が主力であったため、生糸輸出先のアメリカでの大恐慌の打撃をもろに受けた。民間賃金引下げ、未払い、公務員の減給、行政整理など現在の様子と似たところがありました。その後、同11年以降に長野、上田、丸子に鐘紡工場建設が希望の光となりました。
当然、門前町としての落ち込みもひどい状況でした。それまで21万人/年強いた善光寺参詣宿泊人も、13万人/年台と激減でした。

戦後の成長
昭和29年の合併により、長野市は面積が160平方キロメートル、人口が15万人と拡大しました。
戦時中に崩壊した商業も復興により、長野市の商店数は昭和26年約1,700軒、同33年約3500軒と増えました。
同32年中心街に、丸光百貨店、丸善百貨店が大型デパートとして開店。商店街はデパートとの共存共栄の時代となりました。
同41年の大合併により、長野市は面積が404平方キロメートル、人口が27万人と拡大し、人口で全国都市の69位となりました。
高度経済成長は所得水準の上昇、生活スタイルの都市化を背景に大量生産、大量消費を生み出し、大量流通の必要性から卸売業界の単純化、小売業界への大資本・大型店の進出など流通革命が起き、流通戦国時代の到来となる。
同48年から50年代には、イトーヨーカ堂、ダイエー、ジャスコなど大型店が長野市に勢ぞろいした。
大型店と一般小売店との共存共栄が理想の街づくりに繋がるのだが、現実には幾つもの障害もあった。
 ・ 車社会になり、駐車場を持たない商店街は分が悪くなった。
 ・ 初売り日の自由化について(元旦営業)
消費者サイドに立った考え方が求められ、淘汰の時代が現実のものとなった。

長野の商店も近年は、景気の悪化に伴い、更に厳しい状況にありますが、当地の持ち味を生かした商業を盛り上げようとがんばっております。それは、観光資源・善光寺・まつりを柱にした商店街、地域の活性化です。有形無形の財産を上手に活用し、長野ならではのものを創りだせれば、長野の商業も決して悲観的なものではないと思います。
商業の歴史は長く、その使命が消滅する事はありません。大規模化、集約化が現在の潮流となっていますが、消費者の価値観が多様化する中にあって、大企業だけが全てのそれを満足させる事は不可能であり、大手が対応できないニーズに応えることが地域に根ざす商店の存在だと思います。的確な情勢の見極めと、その実行力により、輝かしいこれからの商業に期待をするものです。
 

B 長野歳時記(北信版)

下記のようなイベント、行事が、町を元気にしてくれています。

長野オリンピック記念長野マラソン : http://www.naganomarathon.gr.jp/
信州の春を満喫しながら、国内外招待のトップ選手から市民ランナーまで、数千人が42.195キロに挑みます。長野オリンピック記念長野マラソンは、98年長野冬季オリンピックの感動を末永く伝えていこうと、それまでの「信毎マラソン」を広く市民に開いた形で99年から始まりました。沿道には小旗を振っての応援が途切れることなく続き、県内外のボランティアが運営をサポートします。

長野県縦断駅伝
長野県縦断駅伝は、縦に長い信州を20人が1本のたすきでつなぐ大会です。大会は2日間にわたって行われ、初日は信濃毎日新聞本社前から上田市を経て岡谷市へ。2日目は松本城前から伊那谷を南下、飯田市にゴールするコース。市街地あり峠ありの変化に富んだコースに、ベテランから女性、中学生まで、郡市単位で編成した郷土代表チームが挑み、2日間の合計タイムで競います。 2000年大会でV12を達成した常勝の強豪上伊那チームに、層の厚い長野市や全諏訪、飯田下伊那などがどう絡んでくるかが、毎回の見どころにもなっています。2001年大会で50回を迎え、コースも若干変更されました。

長野えびす講煙火大会 : http://www.nagano-cci.or.jp/
初冬(11月23日)の花火大会としては全国的にも屈指の規模を誇る長野えびす講煙火大会は、戦時中に休止したものの、約100年にわたって続いてきました。主催は長野商工会議所。門前町・長野の商業の発展を祈願し、約4000発の花火が夜空を焦がします。周辺の宅地化が進み、安全上の問題で1999年の大会から二尺玉の打ち上げが姿を消しました。ただ、代わりの尺玉の一斉打ちも迫力十分。土手をぎっしりと埋め、防寒具に身を包んだ観衆が見入ります。

善光寺御開帳
 : http://www.zenkoji.jp/
お秘仏であるご本尊様のお身代わりとして、まったく同じお姿の仏様が「前立本尊」です。普段はご宝庫の中に静かにご安置されており、7年に一度(現在は丑と未の年)、ご本堂にお遷しされ全国の人々にお参り頂く行事が「御開帳」の盛儀です。平成9年の際には515万人のご参拝がありました。松代藩が現在のご本堂建立の際普請奉行にあたったというご縁から、毎回松代町から奉納される大回向柱には、前立本尊阿弥陀如来の右の御手に結ばれた金糸が善の綱となって結ばれ、大回向柱 に触れる人々にみ仏のお慈悲を伝えてくれます。

真田まつり
 : http://w1.avis.ne.jp/~mcci/
真田十万石の城下町・松代は、松代城跡や真田邸をはじめ、宝物館や美術館、古寺が点在する、しっとりとした風情を感じさせる町。秋、町中心部一帯で行われる「真田まつり」は、例年5万人前後が訪れる松代町最大のイベント。呼び物は「松代藩真田十万石行列」。住民らが真田家の武士にふんし、「輿(こし)」や馬に乗って城下町を練り歩きます。

長野びんずる祭り http://www.binzuru.com/
8月、長野市民総参加・総和楽を目指して行われている長野市民祭は、長野地区、篠ノ井地区、若穂地区それぞれの、びんずる踊りを中心としたお祭りの総称です。昭和46年の第1回から平成15年で、第33回目を迎えます。

飯綱火祭り : http://www.city.nagano.nagano.jp/ikka/kankou/event/himatsuri.htm
飯綱高原は、飯綱山(1,917m)を中心に、上信越高原国立公園に指定されている自然の宝庫です。長野市街から車で約25分のこの高原で、毎年8月10日に行われているのが「飯綱火まつり」です。古くから飯綱高原は、飯綱大明神の聖地として広くその名をはせ、修験道の霊場として栄えていました。 大座法師池周辺では音楽にあわせ、自然を舞台に「光」と「花火」が融合します。

更埴・森のアンズ : http://www.valley.ne.jp/%7Ekkanko/
日本一の「あんずの里」。元禄時代、伊予宇和島藩主の娘が松代藩主真田幸道にお輿入れの際、故郷の風情をしのぶようにと種を持ってきたのが始まりといわれています。一帯をピンクに染め、その美しさは一目十万本とも形容されます。見ごろに合わせて開く「あんずまつり」は、大勢の花見客でにぎわいますが、あんずの森にぎわうのはこの時期だけではありません。初夏にはオレンジ色に実った新鮮な実を求める人で実が再びにぎわいます。あんずの森の入り口にはチューリップ畑も広がり、4月上旬から5月上旬にかけ、球根ごと掘れるチューリップ狩りが楽しめます。

更埴チューリップまつり : http://www.tulip-nagano.co.jp/
4月〜5月、「チューリップの里」で行われています。チューリップの里は、世界でも珍しい「球根を掘り取って持ち帰れるチューリップ園」として、民間最大規模を誇っています。

いいやま雪まつり : http://www.city.iiyama.nagano.jp/
北信濃の豪雪地・飯山の恒例イベント。市街地を中心に、市内各所に市民が作った数十体の雪像が、スキー観光客など出迎えます。雪像のコンテストも行われ、城址公園のイルミネーションや市街地の雪見灯ろうはロマンチックな雰囲気を盛り上げます。ふだんは屋根の雪下ろしなどで苦労している飯山市民も、まつりの期間中は“宝物”の雪を楽しみます。

いいやま菜の花まつり : http://www.city.iiyama.nagano.jp/
厚い雪が解け、遅い春を迎える飯山市の千曲川のほとり、小高い丘の「菜の花公園」は4月下旬から5月上旬にかけて黄色一色に染まります。一面黄色の菜の花と千曲川、遙かに見える雪をいただく斑尾山、妙高山の風景は北信濃の春の代表的な風景。5月3日にはまつりのメーンイベントが行われ、ミスコンテストや撮影会、特産品販売などでにぎわいます。

黒姫高原犬ぞり大会 : http://www.town.shinanomachi.nagano.jp/
1995年に始まった国際犬ぞり連盟(IFSS)の公認レース。冬の黒姫高原の恒例行事となり、県内外から多くのチームが参加するようになりました。    種目は6頭引き、3頭引き、2頭引き、1頭引きで、速いそりでは時速30〜40キロで雪の中を走り抜けます。順位を付けない「犬と一緒に50メートル走」もあり、犬と一体になり、ふれあう楽しさを味わえます。

道祖神祭り : http://www.vill.nozawaonsen.nagano.jp/
五穀豊穣と無病息災、良縁安産を祈願して行われる日本三大火祭りのひとつ。見せ場は、ブナの大木で作られた社殿の前での火付けの攻防戦です。神殿を守る厄年の男衆と、松明を振りかざして攻めてくる村人の怒号が飛び交う中での荒々しい攻防が約1時間半続きます。手締めの後、社殿に火が入れられ、祭りは最高潮に達します。

中野ひな市 : http://www.m-shinano.com/nakano/hina.htm
江戸時代から伝わる中野の土びなには、素朴さとぬくもりがあります。中野のひな市は、北信濃に春を告げる行事。全国の土びなの即売会や特産品市などが多彩に繰り広げられます。中でも一番人気は、中野土びなの即売会。制作数に限りがある手作り品のため、愛好家は数日前から順番待ちして長い列を作り、開場と同時にお目当ての品に走ります。

野尻湖一周遠泳大会 : http://www.town.shinanomachi.nagano.jp/
北信濃の湖、野尻湖の1周は約10キロ。毎年夏、県内外から集まる100人以上の泳ぎ自慢が、この湖1周の完泳に挑みます。かつては諏訪湖や琵琶湖などでも行われていた遠泳大会ですが、昨今の水の汚れで、戦前から続いているのは野尻湖だけともいわれます。参加者は日焼け止めや保温用の軟こうを体に塗って桟橋からスタート。5、6時間かけ、ほとんどの人が泳ぎ切ります。
 

Q4 信州の観光について

長野にお越しの際、下記の案内所からお尋ねください。各地の情報が頂けます。
観光案内所 住所 電話番号
善光寺宿坊組合 380-0851 長野市元善町491番地 026-234-3591
飯綱高原観光案内所 380-0888 長野市上ヶ屋2471番地 026-239-3185
長野市観光情報センター 380-0825 長野市末広町JR長野駅東西自由通路内 026-226-5626
長野市ホテル旅館組合 380-0831 長野市東町119番地1号 026-232-3484
須坂市観光協会 382-8511 須坂市須坂1528番地1 026-245-1400
信州須坂町並み案内処 382-0082 須坂市中町202番地1号 026-248-1750
峰の原高原旅館組合 382-0077 須坂市峰の原高原町 026-246-0150
峰の原高原観光協会 386-2211 須坂市峰の原高原町 0268-74-3080
中野市観光協会 383-0025 中野市三好町一丁目3番地19号(中野市役所) 0269-22-2111
信州中野観光センター 383-0053 中野市草間1539番地1号 0269-23-5581
北竜湖観光協会 389-2322 飯山市瑞穂7776 北竜湖の館 0269-65-3508
信濃平観光協会 389-2417 飯山市中曽根110番地 0269-62-2225
飯山市観光協会 389-2253 飯山市飯山1110番地1号(飯山市役所内) 0269-62-3133
戸狩観光協会 389-2411 飯山市豊田6363番地 0269-65-3161
斑尾高原観光協会 389-2257 飯山市斑尾高原 0269-64-3222
斑尾高原ペンションビレッジ 389-2257 飯山市斑尾高原 0269-64-3223
飯山旅館組合 389-2253 飯山市飯山本町(ホテルほていや内) 0269-62-3128
戸狩温泉組合 389-2413 飯山市大字豊田6363番地 0269-65-4888
千曲市更埴観光協会 387-8511 千曲市上山田温泉2-12-10 026-261-4606
大池総合案内所 387-0023 千曲市八幡大池2イ番地379号 026-272-5372
更埴市民ギャラリー 387-0013 千曲市小島3139番地 026-273-1011
あんずの里観光会館 387-0005 千曲市森1406番地1号 026-272-0114
戸倉上山田温泉観光旅館 389-0821 千曲市上山田温泉2丁目10番地4号 026-276-2241
戸倉上山田温泉観光協会 389-0821 千曲市上山田温泉2丁目12番地10 026-275-1326
おぶせガイドセンター 381-0201 上高井郡小布施町小布施789番地 026-247-5050
信州高山温泉郷観光協会 382-8510 上高井郡高山村高井4972(高山村役場) 026-245-1100
北志賀高原観光協会 381-0405 下高井郡山ノ内町大字夜間瀬8157番地3 0269-33-6000
山ノ内町情報物産館 381-0402 下高井郡山ノ内町佐野393番地2 0269-31-1008
志賀高原観光協会 381-0401 下高井郡山ノ内町平穏7148番地志賀高原蓮池 0269-34-2404
湯田中温泉旅館組合 381-0401 下高井郡山ノ内町平穏2303番地7 0269-33-2851
山ノ内町観光商工課 381-0401 下高井郡山ノ内町平穏3352番地1 0269-33-1107
渋温泉旅館組合 381-0401 下高井郡山ノ内町平穏2115番地 0269-33-2921
木島平村観光交流センター 389-2303 下高井郡木島平村上木島2548番地1 0269-82-2800
野沢温泉宿泊業組合 389-2502 下高井郡野沢温泉村豊郷4376番地2号 0269-85-4155
野沢温泉観光案内所 389-2502 下高井郡野沢温泉村豊郷5048-1 0269-85-4722
野沢温泉民宿組合 389-2502 下高井郡野沢温泉村豊郷9784番地 0269-85-2068
野沢温泉観光協会 389-2502 下高井郡野沢温泉村豊郷9284番地1号 0269-85-3155
野沢温泉旅館組合 389-2502 下高井郡野沢温泉村豊郷9521番地 0269-85-2056
信州新町観光協会 381-2405 上水内郡信州新町新町1000-1(信州新町役場) 026-262-2200
信州新町左右民宿組合 381-2424 上水内郡信州新町左右19474番地 026-264-2315
信濃町観光案内所 389-1305 上水内郡信濃町柏原2692番地39号 026-255-3226
飯綱東高原観光案内所 389-1226 上水内郡牟礼村川上2755番地345(天狗の館内) 026-253-3210
牟礼村観光協会 389-1211 上水内郡牟礼村牟礼2795番地1(牟礼村役場内) 026-253-7788
戸隠ペンション組合 381-4102 上水内郡戸隠村豊岡字原 026-254-3045
戸隠村観光協会 381-4102 上水内郡戸隠村豊岡1554(戸隠村役場) 026-254-2888
中社旅館組合 381-4101 上水内郡戸隠村戸隠字中社 026-254-2580
越水山小屋組合 381-4101 上水内郡戸隠村越水 026-254-3105
越水旅館組合 381-4101 上水内郡戸隠村越水 026-254-2099
戸隠民宿組合 381-4101 上水内郡戸隠村中社 026-254-2566
宝光社旅館組合 381-4101 上水内郡戸隠村宝光社 026-254-2005
鬼無里観光協会 381-4392 上水内郡鬼無里村役場内 026-256-3188
小川村観光協会 381-3302 上水内郡小川村高府8800番地8(小川村役場) 026-269-2323
道の駅「ふるさと豊田」 389-2104 下水内郡豊田村永江2136番地 0269-38-2277
秋山郷観光協会 389-2703 下水内郡栄村堺18281番地 0257-67-2202



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